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「いかに勝つか」ではなく、「誰かを思って働く」という生き方~映画『星くずの片隅で』

香港映画といえばカンフー映画やアクション映画、映画好きならウォン・カーウァイ監督の作品などをイメージする方が多いでしょうか。

中国返還後、香港では中国資本と合作で、中国市場を意識した歴史ものやアクション大作が多く制作され、香港映画が“らしさ”を失っていた時期がありました。それが近年、若い監督によるローカル色の強い小規模な良作が続々と誕生し、新しい流れを形成しています。

今回ご紹介するのも、そんな流れをくむ1本。2020年のコロナ禍の香港を舞台に、苦しくても助け合って生きようとする人々の姿を描いた『星くずの片隅で』という作品です。

従業員のミスで窮地に立たされる経営者

主人公は、清掃会社「ピーターパンクリーニング」の経営者ザク(ルイス・チョン)。経営者といっても従業員はおらず、コロナ禍で静まりかえった香港の街で、1人、閉店後の飲食店や商業施設の消毒作業に追われています。
経営状況はぎりぎりです。長年乗っているバンの調子は悪いし、コロナの影響で消毒液も入手困難だし、私生活では体が不自由な母親の面倒もみなければならず、ザク自身も腰痛に悩まされている。そんな八方ふさがりの彼の事務所に、奇抜なファッションに身を包んだ若いシングルマザーのキャンディ(アンジェラ・ユン)が職を求めてやって来ます。

清掃業には不向きに見える彼女に不安を感じながらも、幼い一人娘ジューのために頑張る姿を見て採用を決めるザク。しかし、清掃に入った住宅から彼女が子供のためにマスクを盗んだことで、ザクは大事な得意先を失ってしまいます。

ザクのような職業は、仕上がりはもちろん、信用がすべて。一度はクビを伝えるザクですが、まともな暮らしを送れずにいるキャンディとジューを見て、もう一度彼女にチャンスを与えます。キャンディも心を入れ替えて仕事に打ち込み、ザクもそんな彼女に心引かれていくのですが、ある日、ジューが貴重な消毒液をこぼしてしまい、追い詰められたキャンディが取ったある行動が原因で、ザクが窮地に立たされることに…。

フリーランスとして見習いたい、主人公のあり方

見所はたくさんあるのですが、何といっても、ザクが非常に魅力的なボスなのです。罪を犯したキャンディにチャンスを与えるばかりか、報酬まで上乗せしてあげる。なぜ罪を犯したのか、人の痛みに思いを巡らせ、そこから手当しようとしてくれる。これまで彼女がどんな風にサバイブしてきたのかは問わず、ただ自分と働くのであれば真っ当になれと諭して、彼女を信じようとする。

仕事ぶりは真面目で、誠実。うまく立ち回って楽をしたり、利益をちょろまかしたりは絶対にしない。中国文化で美徳とされる「信」と「義」を地で行くような人物です。仕事相手を選びやすいのはフリーランスとして働くメリットの一つだけれど、こういう人にめぐり会えたら、少なくとも自分なら「信用に報いたい」と報酬以上の仕事をしようと励むと思うし、効率よく収入を上げる術を考えるより、ザクのように1つずつ信頼を積み上げたい。そう感じたからこそ、その後の映画の展開が何とも切なく胸に迫るのですが…。

世の中のために貢献する人の中には、たまたま目立つ成果を上げて注目される人がいるけれども、その陰に、無数のザクやキャンディがいる。

何のために働くのか? 何が、どうなれば“成功者”なのか? ザクやキャンディの生き方は、決して上手なそれではありません。でも、誰もがそれぞれ大変な思いをしている世の中で、「どう勝つか」ではなく、彼らのように誰かのことを思って働くことができたら、少しずつ皆が生きやすい世の中になるのではないかと思わせてくれます。

もちろん、自助努力で頑張れという映画ではありません。彼らを取り巻く環境はあまりにも厳しく、自力でどうにかなるレベルではない。この映画が描いているのは、孤独な人間が心を寄せ合える誰かを見つける過程であり、その温かな描写の裏にあるリアルに作り手の誠実さを感じます。

急激に変わりゆく香港の「今」を映す

香港では近年、反中国的な言動を取り締まる香港国家安全維持法(国安法)の施行など急速な中国化を不安視する人の海外への移民が急増しています。映画の中でも主人公たちがよく口にするのがこの話題で、本作のラム・サム監督自身も今は英国在住です。

でも、家賃の支払いもままならないキャンディたちにとっては、移民など遠い世界の話。

本作の原題は「窄路微塵」(狭い道の塵)といいます。夜明け前、ザクとキャンディが作業を終えたビルの屋上で、建設中の高層ビルを向こうに一服するシーンが印象的です。大きく変わっていく香港を、ビルの屋上から眺める小さな2人。

今年の4月、コロナ禍後に初めて香港へ行ったのですが、大規模な再開発の工事現場、物価の高騰ぶり、そして不動産会社に貼ってある物件価格のバカ高さに驚きました。食費もホテル代も、何もかも高い。

観光名所ヴィクトリア・ピークに上ると、眼下にそびえる高層マンションに目が行きます。ここに住めるのは、一体どんな人たちなのだろうか? どんな仕事をしているのだろうか? そんな想像をしながら、香港行きの直前に観たこの映画のザクとキャンディのことを思い出しました。

ラム監督は、2019年の香港の民主化デモに参加した若者たちの群像劇『少年たちの時代革命』で共同監督を務めて注目された香港映画界の新鋭。『少年たち~』は海外の映画祭などで高く評価されながらも、中国当局の締め付けが強まる香港では上映禁止になった作品として日本でも注目されました。本作は、そんなラム監督が初めて単独で監督を務めた長編劇映画でもあるのですが、デビュー作とは思えないストーリーテラーぶりに驚かされます。

撮影が行なわれたのは2021年。あらゆる場所がコロナで封鎖された当時の香港の空気も映画から感じ取ることができます。

『星くずの片隅で』
TOHOシネマズ シャンテ、ポレポレ東中野ほか全国順次公開中
配給:cinema drifters・大福・ポレポレ東中野
公式サイト:https://hoshi-kata.com
(C)mm2 Studios Hong Kong

新田理恵
ライター・編集・字幕翻訳者(中国語)
大学卒業後、北京で経済情報誌の編集部に勤務。帰国後、日中友好関係の団体職員を経てフリーに。映画、ドラマ、女性のライフスタイルなどについて取材・執筆している。
Twitter:@NittaRIE
Blog:https://www.nittarie.com/

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