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ムーミン作者も悩んだ「やりたい仕事」と「求められる仕事」とのギャップ。「好きなことだけで生きていく」は叶うのか?~映画「TOVE/トーベ」

フリーランスのライターになって間もない頃、書きたいジャンルの仕事は原稿単価が低く、それだけで生計を立てるには厳しいため、お話をいただいた仕事や対応できそうな仕事は「やりたくない」と思うもの以外すべてトライするスタンスで働いていました。当然それなりのストレスもあり、「好きなことだけして生きていきたい」という思いが何度頭をもたげたことか。
「好きなことを仕事にしたい」とフリーランスの道を選ぶ人も多いと思いますが、「好きなこと」や「やりたい仕事」と、「今できること」や「食べていける仕事」のギャップに悩んだ経験がある方は多いと思います。
映画『TOVE/トーベ』(公開中)を見ると、世界中で愛されるムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンも同じような悩みを抱えていたようです。

描きたいのは芸術作品、でも求められるのは…

『TOVE/トーベ』は、原作者トーベが不思議ないきもの「ムーミントロール」を描き始めた第二次世界大戦中から、児童文学作家として人気を博すようになるキャリアの前半をたどった作品。芸術家としての葛藤と、舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーとの恋にスポットが当たっています。

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トーベは1914 年フィンランド・ヘルシンキ生まれ。父親は彫刻家で、母親は挿絵画家という芸術家一家で育ちます。10代の頃から挿絵の仕事をするようになりますが、父親は挿絵など芸術ではないと、トーベのイラストを認めようとしません。父親の収入が少ないから母と娘がイラストを描いて家計を支えているのでは……と思うと、自分ならグレそうになるところですが、この「芸術家であれ」という父親の考えが、そのままトーベにも彼女自身の価値観として刷り込まれていきます。

しかし、いくらキャンバスに向かって絵を描いても、まったく売れない。彼女自身の部屋を借り、創作に没頭しますが、家賃の支払いにも困る暮らしが続きます。「イラストを描いてほしい」という依頼は来るのです。でもトーベは、「私は画家」だと進んで引き受けようとしません。困りに困って引き受けても、「本業の合間の息抜き」だと素っ気ない。あくまでお金のためだと割り切って、細々とイラストを描き続けるのです。

幼い頃から物語を書くことも好きで、1945年から細々とムーミンの物語を出版していたトーベ。人生の転機となったのは、ロンドンの夕刊紙「イブニングニュース」で1954 年から始まった「ムーミン」の漫画の連載でした。
映画の中では、新聞社と契約を交わす場面が描かれます。「今後7年、週6日で連載」という契約で、ギャラは週払い。これが決まれば、当分豊かな暮らしが約束される。「芸術家として失敗した」――トーベは連載を受ける理由をそう説明して、キャンバスと絵具をしまい、ムーミン谷の物語をどんどんつむいでいくのです。

ムーミン人気の中でも忘れなかった「本当にやりたいこと」

漫画連載によって、ムーミン人気は世界へと広がります。
しかし1959年になると、ムーミンのストーリーの原案づくりまで手伝うようになっていた弟に連載を引き継ぎ、彼女が「本業」だというこだわりを捨てなかった絵画に、再び時間を割くようになったのです。

その時の彼女の頭の中は、やりたいことでいっぱい。トーベは、ムーミンの物語のほかにも、絵画や小説、短編など多岐にわたる作品を数多く残しました。それができるようになったのは、「食べていくため」の「求められる仕事」を、量的にも、質的にも十分すぎるほどこなしたからではないでしょうか。「求められる仕事」を極めて、評価と経済力と経験を手に入れていくうちに、「やりたい仕事」「好きなこと」を思い切りできる環境が整っていた。物を書く職業の末席を汚す身としては、理想の上がりです。

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自分には何ができるのか、何が求められているのか。案外、自分のことは自分では分かりません。あれこれ思い悩んでいてもたどり着かなかった回答を、赤の他人がすっと示してくれることがあります。
進む道が分からない、自分の望みが分からない時は、他人の意見に耳を傾け、のってみるのも悪くない。求められることをこなすうちに、たどり着ける場所がある。『TOVE/トーベ』を見て、そんな思いを新たにしました。

ムーミンキャラクターのモデルとなった周囲の人々

もう1つ、この映画の軸になるのは、市長の娘で舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーとの恋です。

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当時のフィンランドでは同性愛は犯罪と見なされていましたが、2人にしか分からない言葉や方法で愛を語らい、その関係がトーベの創作を後押ししていきました。一方で、政治家や記者として活動したアトス・ヴィルタネンとも関係を持つなど(のちに結婚・離婚)、恋愛にも自由で情熱的だったトーベ。ヴィヴィカとの関係がいつも手をつないでいる仲良しのトフスランとビフスランに反映され、アトスがスナフキンのモデルになっているそうです。
あの愛らしいムーミン谷の仲間たちはトーベの周囲の人々が大いに投影されたキャラクターであり、背景に複雑で繊細な大人の愛のお話があったことを知ってから「ムーミン」を読み返すと、さまざまな個性を持ったキャラクターが思い思いに時を過ごすムーミン谷の物語を、また違った味わいで楽しめると思います。

『TOVE/トーベ』
全国公開中
配給:クロックワークス
© 2020 Helsinki-filmi, all rights reserved

公式サイト https://klockworx-v.com/tove/

新田理恵
ライター・編集・字幕翻訳者(中国語)
大学卒業後、北京で経済情報誌の編集部に勤務。帰国後、日中友好関係の団体職員を経てフリーに。映画、ドラマ、女性のライフスタイルなどについて取材・執筆している。
Twitter:@NittaRIE
Blog:https://www.nittarie.com/

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