「何をしたいか分からない」とフラフラする主人公に共感&同族嫌悪!?~映画『わたしは最悪。』
フリーランスという働き方を選んだ理由に、自由度を挙げる人は多いと思います。やりたいこと、得意なことを仕事にし、自分の裁量で働く。会社や誰かのためではなく、自分が主役になる。ノルウェー発の話題作『わたしは最悪。』(公開中)は、「私が主役の人生を生きる」と信じて疑わないのに、「何を仕事にするか」でつまずいてしまった女性が主人公です。
人生の主役でいたいのに、何をしたいか分からない
『わたしは最悪。』のユリヤは、モラトリアム期がやや長すぎる女性。学生時代から成績優秀で、「優秀な子は医学部に進むものだし」と外科医を目指すも、肉体ではなく内面に興味があるのだと思い至り、心理学に転向。さらに「私はもっと視覚的な人間だ」とカメラマンを目指すように。
書店でアルバイトをしながら、カメラマンを目指すユリヤの前に、その世界では有名なグラフィックノベル作家アクセルが現れます。2人は付き合い始めますが、ユリヤより年上のアクセルは、彼女に妻や母としての役割を果たしてほしいという期待をほのめかすようになります。自分が人生の主役でいたいユリヤと、「自分の妻、子供の母」を求める彼の間に不協和音が生じていくのは当然の流れ。かといって別れを切り出すこともできない。そんな折り、ユリヤは勝手に忍び込んだパーティーで、自分と価値観の合いそうな若い男性アイヴィンと出会い、この人こそはと胸を高鳴らせます。
モラトリアム期を「何待ち?」と詰められる主人公
劇中、漫然とアルバイト生活を続けるユリヤに、アクセルは「君は何を待ってるの?」と問いかけます。「ごもっともです」と思う反面、自分の気持ちすら見えないモラトリアム期の人間にとっては、結構キツい詰められ方です。
思い返せば私も、フリーランスのライターとして自立した暮らしができようになってからも、周りから「そろそろ就職したほうがいい」と忠告されることがありました。どうやら他人からはモラトリアム期の延長に見えたのでしょう。確かに、映画やエンターテインメントの分野で仕事をしたいと思いつつ、「これも面白そう」「こっちのほうが潰しが利く」などと、様々なジャンルの仕事に手を出して、他人の目には「ブレてる人」「道に迷っている人」と思われたかもしれません。でも、そうやって様々な経験をした結果、満足できる現在地に流れついたので、回り道を否定することもできません。
『わたしは最悪。』も、そんなブレブレの女性の「自分探し映画」で、ジャンルとしてはよくある話です。だけど、1つ1つの感情の描写、共感度がずば抜けています。
何と言ってもこのユリヤが、見ているとイラッとくる主人公なのです。同族嫌悪的な“イラッ”です。
ふらふらしている理由や内面が詳しく描き込まれているわけではなく、彼女のキャラに深みを感じられないところが、むしろリアル。彼女がネットに落としたフェミニズムに関する1本の文章が評判になるというエピソードがあります(写真はどうした、写真は)。ふと思い立って勢いで書いたものがある程度評価されても、物を書くことを生業にしている人なら、「いつかメッキが剥がれる」と冷めた目でご覧になるはず。本人にもきっとその自覚はあるわけで、地頭のよさと器用さと運で乗り切ってきたようなユリヤの自己嫌悪感や不安、一方で捨てられない自意識の高さとの矛盾が痛々しく、共感を禁じ得ません。
ちょっとネタバレをすると、ユリヤは紆余曲折を経て、映画の最後では、ちゃんとカメラマンとしての道を歩んでいます。自分が主役の人生を夢見るけど、現実は容赦なく降りかかってきて、進む道を決められてしまうことがある。誰かの人生の脇役のままのような気がしても、それはそれで、世界は回っていく。
フリーランスは自由だと言われるけれど、折り合いをつけることを迫られる場面は意外と多いもの。「折り合いをつける」「人生そんなものだから」――こうした一見ネガティブな心の持ちようを、視座を変えて考え直させてくれる映画です。
『わたしは最悪。』
全国公開中
配給:ギャガ
© 2021 OSLO PICTURES - MK PRODUCTIONS - FILM I VÄST - SNOWGLOBE - B-Reel – ARTE FRANCE CINEMA
公式H P https://gaga.ne.jp/worstperson/
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