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電通を出て「個人事業主」になった社員はその後どうなった?会社とゆるくつながることで見えた“新しい景色”

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方を、取材を通してご紹介する「働き方の挑戦者たち」。

今回は2020年11月に発表され話題になった、電通の『ライフシフトプラットフォーム』という仕組みを使って独立した桑原浩幸さんと神健一さんにお話を伺いました。

ライフシフトプラットフォームとは、希望するミドル社員が個人事業主となり、電通が出資するニューホライズンコレクティブ合同会社(以下、NH)と10年間の業務委託契約を結ぶ仕組み。個人事業主になった人は、NHを通じて安定的な収入を得ながら、それぞれのキャリアの実現に取り組む「チャレンジ」と「安心」を両立することができます。

電通の先進的な制度を利用した事例ですが、お二人のお話には、個人が独立し、充実感を持って仕事をするための普遍的なヒントがありました。

電通から「消滅するかもしれないまち」へ

「もともと独立志向はなかったんです」

退職後、静岡県で一番小さい町・伊豆半島の松崎町へ移住した神さんは、40才を過ぎた頃から、「これからどんな生き方をしたいか」をなんとなく考え始めたと言います。

神健一さん

豊かな自然への憧れがあって、定年後でもいいから美味しい地場の食材を使った飲食店の経営をしたいと思い、二拠点生活について調べる中で、地域の過疎化の進行が深刻であることを知ります。

ライフシフトプラットホームの構想が発表されたのは、ちょうどその頃。地域のために何かできることはないかと考えていた最中でした。当時、神さんは43才。「独立は早い気もしたけれど、このタイミングしかない」と、応募を決めました。

電通を離れた神さんが向かったのは、静岡県・松崎町だった。

「松崎町に住むようになって、景色だとか、そういったものに圧倒され、癒されて、充実感を持って生活しています。でも、すぐそばには耕作放棄地の田畑や後継者不足などでシャッターを下ろしている店も目立つ。人口約6000人の町で、去年の出生人数は14人、亡くなった方は117人です。このままだと、この町は本当に消滅するかもしれないと肌で感じます。それでも豊かな自然や温泉、旬の農作物、貴重な歴史や文化など、この素晴らしい環境をどうやったら守れるのか。自分が住んでいる町なので、居心地良くしたいじゃないですか。今の立場を活かして、思う存分、町のために働きたいですね」(神さん)

ついこの間まで”電通マン”だった神さんは、今では松崎町のために奮闘しています。水道もガスもないところへ移住し、「生活自体が修行みたいな感じですが、自然のど真ん中で最高の場所です」(神さん)。

変わったのは環境だけではありません。一番の変化は自分自身の内面にありました。

「どんな人と関わりを持ち、何を学ぶべきで、どうやって仕事をするのか――。僕は具体的にやることを決めて(電通を)卒業したわけではないので、常に将来の自分を考えるようになりました」(神さん)

目の前のやるべきことをこなす日々だった時代から、将来の在り方を逆算して動く毎日へ。考え方が変わった背景には、多岐にわたる地域課題も影響しています。

「観光振興、1次産業をはじめとした高齢化による担い手不足、子育て支援、防災、地域のDX化……地域には解決すべきことが山のようにある。目の前にきた課題を打ち返していては、パンクするのが目に見えています。だからこそ、どの分野なら自分の強みが発揮できるのか、将来の糧になるのか、取捨選択をする必要があります」(神さん)

神さんは、元々「何でもやります」と言いたいタイプ。その気持ちをグッと我慢してお断りする心苦しさと戦いながら、地域課題に向き合おうとしています。

直近では自身の移住経験を活かして、これから移住をしてくる方々向けの町の移住定住促進協議会の運営や、NHでメンバーを募り耕作放棄地解消のための稲作体験と地域との交流会の企画運営など、さまざまな角度から地域の課題に取り組んでいます。今は「里山Base」という屋号で活動をしていますが、より地域に根付くように「伊豆松崎のために働く会社」、略して「まつため」に変えることも検討中だそうです。

神さんは現在、地域の課題に取り組んでいる

会社員を離れると「遊び」と「仕事」の境目がなくなった

退職後、株式会社クワバラコンサルティングを立ち上げ、音楽とスポーツ関連の仕事に従事する桑原さん。

桑原浩幸さん

電通で約20年携わった国際スポーツビジネスの知見を生かす一方、50歳から始めた趣味のピアノも、独立後は仕事に生かすことに。ピアノイベントを開催したり、若手音楽家に向けたCDレーベル『​KIIMUSIK』も設立しました。

ライフシフトプラットフォームが独立のきっかけになったものの、それ以前から「趣味を仕事にしたい思いがあった」のだそう。

新卒入社し、20年近くがむしゃらに働いたという桑原さん。40才で国際スポーツ部長という、かなりハードな要職に抜擢されたことで、自分が、上から命令されるのも、上からの命令を下に指示するのも好きじゃないと気づきます。「こうなったら社長になるしかないと、独立を考えるようになりました」(桑原さん)

60歳になる前には独立したいと思ってたところ、2020年11月、56歳の時にNHのライフシフトプラットフォームの公募が開始。「前向きで素晴らしいシステムだと思いました。たぶん僕が応募者の中で一番早く手を挙げたんじゃないかな」と桑原さんは振り返ります。

一方、もともと独立を考えていて、趣味のピアノを仕事にするという明確な指針がある桑原さんは「えも言われぬ自由を実感していて、本当によかったことしかない」と満足げな様子。

「人間関係、お金、時間を100%自分でコントロールできることは、ものすごく大きな自由を与えてくれる。今は自分と価値観が合って、同じ方向を向いている人との仕事に絞っていますが、これもオーナー社長だからできることですよね。仕事の種をいろいろなところに蒔いているところですが、芽が出た箇所に集中的に水をやっていれば、なんとなく自分が好きなことで食べていけるのではないかとイメージしています」(桑原さん)

電通時代と今との一番の違いは「独立してからは遊びも仕事も、全く一緒」(桑原さん)であること。

「起業して、会社がもう一つの自分の人格だと実感しています。まさに『法人』ですね。そうすると『仕事が遊びで、遊びが仕事』みたいな状態になってくるんです。会社にいた時は自分の能力を切り売りしている感覚があり、オンとオフを明確にわけていましたが、今は洗濯機を回すのも、趣味のピアノ弾くのも、仕事をするのも、一日の流れの中で全く同次元になりました。これは電通時代にはまず感じられなかったことです」(桑原さん)

趣味でつながっていたピアノ関係の友人を通じて、「あっという間に仕事のネットワークができた」のだとか。大企業にいた頃と比べて仕事の規模は小さくなったけれど、「満足度や幸福度は格段に上がった」と話します。

「独立した今は、僕の月収さえ稼げればいい。大企業では受けられない、当時の何億分の一の規模の案件であっても、自分が好きな人からの依頼を喜んで受けることができます。『動かすお金はそれほど重要じゃないんだ』と実感しますね」(桑原さん)

桑原さんは今後も「会社を大きくしたいとは全く思っていない」と話します。

「残りの人生、僕が大企業で身につけてきた知見を、同じ方向を向いている若い人たちにどんどん分け与えていきたい。そうやって、頑張っている若い人たちが楽になるように、成功できるように、手助けができたらうれしいですね。それが今の僕が、一番満たされることなんじゃないかと感じています」(桑原さん)

趣味のピアノが仕事につながった

同じ企業風土で育った仲間とのゆるいつながりが大きなメリットに

ライフシフトプラットホームに応募して個人事業主となり、電通が出資するNHと業務委託契約を結んでいる総数は約230人。この仕組みを利用して独立したことを、神さんは「恵まれている」と振り返ります。

「同じ企業風土で育った、同じ立場の仲間が周りにいるのは本当に頼もしいです。フリーランスになるにあたって抱える課題や悩みについて、仲間からアドバイスや励ましをもらえる。『ライフシフトプラットフォームアカデミー』で知識やスキルを学ぶこともできます」(神さん)

NHメンバー約230人は、さまざまな部署で、多様な経験・スキルを積んできた人たち。そこに自由にアクセスできることもまた、大きなメリットです。

「立ち上げた音楽レーベルから新進ピアニストのCDをリリースしたんですけど、NHの音楽好きの人に声をかけ、CDジャケット制作ができるクリエイティブディレクター、フォトグラファー、それから録音エンジニアを手配できるオーケストラ経験者が簡単に集まりました。そういったことが瞬時にできる、すばらしいシステムだと実感しています」(桑原さん)

「ピアノ好きな人を集めたサークルを作ろう」と桑原さんが発信すれば、十数人からすぐに手が上がる。実は、このサークルメンバーの一人に神さんも入っています。接点は全くなかったものの、「元電通」という共通点ですぐに打ち解けたそう。

ネットワークの重要性を身に染みて感じるのは、独立した人の“あるある”。最近では企業と退職者、あるいは退職者同士がつながる「アルムナイネットワーク」が注目されていますが、在籍中から関係性をつくっておくことで、独立後に思わぬ仕事に発展する可能性もありそうです。

「先週の土曜日にはNHメンバーでコンサートをやりました。遊びなのか仕事なのかわかりませんが、こういうことを積み重ねていくうちにビジネスに発展することもあるのでしょうね。そうなると、さらに面白味を増すんだろうなと思います」(桑原さん)

「僕の今の目標は、NHにいる10年間で『30年後に松崎町がすばらしい自然の中で、小さくても居心地が良い町であるための事業を起こすこと』。地域にお金が落ちる事業体を目指して、IT関連から農業周りのことまで、NHと契約している利点を最大限利用しながらいろいろな事業を10年間試していくと思います。地域を豊かにするには都会の企業の力が必要だと思っているので、NHメンバーの力も借りながら、地域と都会の企業の間をつなぐ役割を担えればいいですね」(神さん)

(著者プロフィール)
天野夏海(あまの・なつみ)
編集者、ライター。2009年、株式会社キャリアデザインセンターに新卒入社。求人広告の法人営業、新設の派遣事業部での派遣コーディネーターを経て、WEBマガジン編集部へ異動。働く女性向けWEBマガジン『Woman type』の編集者として従事。2015年退職し、2017年10月よりフリーランスとして活動中。現在の主なテーマは「働く」と「女性」。
Twitter:@natsumiamano96
ポートフォリオ:https://natsumiamano.amebaownd.com/



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