見出し画像

“手に職“というこだわりを手放して見つけた本当のキャリア (しなのWEB・代表 しなのさん)

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方を、取材を通してご紹介する「働き方の挑戦者たち」。

今回は、予期せぬコロナ禍によって起業したことで、自分の価値を見つめ直し、現在は『オンライン秘書』として様々な企業や経営者のサポート業務を担当している「しなのWEB」代表のしなのさんのストーリーをご紹介します。

ドラマの中の『丸の内OL』に憧れて上京

「オンライン秘書を始めたのは、今思えば自然な流れでした」

企業のオフィスワークをサポートする「オンライン秘書」サービス・「しなのWEB」をフリーランスとして運営しているしなのさんは、オフィスワーク歴15年というキャリアを生かして活躍しています。「オンライン秘書」とは、ルーティン業務や業務効率化などあらゆるオフィスワークを代行するサービスなのだそう。この事業を立ち上げるまでの道のりは「自然な流れ」というしなのさんですが、キャリアのスタートは、オフィス業務とは畑違いの「歯科衛生士」でした。

「高校を卒業する際、将来の展望が見えていなかった私に『やりたいことが定まっていないなら、手に職を』と親が勧めたんです」としなのさんは振り返ります。親の勧めるままに、地元の専門学校で歯科衛生士の資格を取り、卒業後は家から通える歯科医院に勤務しました。

しかし、そこに飛び込んできたのは、お財布ひとつでヒールを履いてコツコツと歩く、ドラマの中の「丸の内OL」の姿でした。

「丸の内OL」への憧れが高まり、ついに仕事も決めずに上京。無事、念願のオフィスワーカーになり、オフィス街を財布一つ片手に闊歩する丸の内OLになることができました。

当時はビジネスでパソコンに触れることも初めてで苦戦するものの、仲間に恵まれスキルを習得。1年後には会社から評価され、派遣社員から正社員へとステップアップしました。

画像2

大手就職情報サイト運営会社にて。新卒採用WEBセミナー事業の運営として多くの就活生と企業をサポートしてたそう

ここまでを聞くと、アグレッシブでポジティブな女性を想像するかもしれないが、実際の性格はむしろ逆だとしなのさんは言います。

「どちらかというと、何があってもいいように対策を考えて、確信を持ってから飛び出します。心配性で細部まで正確にという慎重派。仕事では几帳面タイプと言われます。だからこそ、どんな時でも自分の決断は突拍子なく見えても、周囲にはあまり心配されなかったのかもしれません」

WEBデザイナー=‟手に職”は甘い考えだった

そんなしなのさんに転機が訪れます。

結婚を機に、しなのさんは長年住み慣れた東京から名古屋に住まいを移すことになり、9年勤めた大手就職情報サイト運営会社を退職しました。しかし、新天地でも縁あって同じ企業の名古屋支社で派遣社員として働くことになりました。

名古屋支社は平均年齢が若かったため、当時32歳だったしなのさんが部署の「年長者」として人に教える役割を担うことになりました。しかし、しばらくして漠然と「『40歳を迎えた時に、自分はここにいるのだろうか?』とビジョンが見えなくなりました」(しなのさん)

当時、特に具体的な夢や目標はありませんでしたが、「40代以降も長く働くことを考えたら、在宅で自分のペースで仕事をしたい」と思うようになっていきました。とはいえ、何か特別なスキルを身に付けないと在宅では働けないと考えたしなのさんは、働きながらWEBデザインスクールに通い、半年かけてWEBデザイナーとしての知識を習得しました。

「『これで在宅ワークデビューして一人でやっていける』なんて、甘い考えだったんですよね」(しなのさん)

“手に職を“と思い、WEBデザイナーの道を選んで開業したしなのさんでしたが、ホームページをゼロから完成できても、複雑な制作においては自分ひとりでは解決できず、メンターが必要な状態でした。

自分のスキルや制作物のクオリティに自信がないので、営業もできず、安価が当たり前という状況が続き、「半年スクールで習っただけのスキルでは、長年実績を積んでいる方や制作会社上がりの方と勝負する土台にも立てない」――しなのさんは現実の厳しさに気づきます。40代の仕事どころか、副業としても前向きになれませんでした。

「個人事業主」だけどひとりじゃない。チームビルドで生まれた信頼

そんな悩みを抱えていた2020年に、本業として従事していた派遣の業務が、コロナ禍の影響により契約終了に。しかし、派遣として勤めていた企業が業務を外注することになったと聞き、個人事業で業務を請け負う形でオフィス業務のサポートを行うことになりました。これが結果的に、しなのさんがフリーランスとなるきっかけになったのでした。

「前職から任せていただく業務は、自分ひとりでは完結できるボリュームではなく、20名のプロジェクトメンバーを募り、ディレクションを行う必要がありました。そこで、当時メンバー集めに頭を抱えていたところ、在宅ワークでバックオフィス業務を生業としている『オンライン秘書』という仕事を知りました」としなのさんは話します。

時を同じくして、コロナ禍の影響によって多くの企業がリモートワークや在宅勤務が推奨され、ビジネスの現場でも、対面から非対面へのシフトが起きていました。

プロジェクトメンバーと出会うために、すぐにSNSで自らも『オンライン秘書』を名乗り、Zoomでの交流会を開くなどチーム作りの準備を進めました。

メンバー集めで苦労したのは、オンラインの関係だけで人柄やスキルを見極めることだったとしなのさんは言います。

「日本各地のみならず海外からもご応募いただきました。お会いしたことない方たちと数百社の採用に関わり、報酬額が数百万円というお仕事を滞りなく遂行し、その全責任を負う。その責任の大きさに寝付けないほど不安な日もありました」

しかし、いざプロジェクトが始動すると「あの心配は何だったのだろう」と拍子抜けするほど、優秀なメンバーがチームに加わってくれていること、強い信頼関係ができていることに気付くことができたと言います。

画像4

メンバーとのやりとりは全てオンラインで。国内・海外在住の総勢20人のメンバーと協働

開業後、初めての大プロジェクトを無事に成功しました。協働してくれる20名の「オンライン秘書」メンバーという新たな縁にも恵まれたことで、しなのさんのフリーランスとしての自信が一層確かなものへと変わりました。

「フリーランスは個人でありながら、個人がチームになるとより一層の強さを発揮します。チームでありながら、一人一人がバックオフィス業務のプロ。自分の業務に責任を持ち遂行するだけではなく、個々の職歴や得意分野を活かした効率化・改善の提案がSlackで飛び交いました。メンバー同士は顔も本名も知らないけれど、互いが知らなかったスキルを学び合い、認め合い、褒め合う。総勢20名のメンバーと一体感を感じながら協働した大プロジェクトの完遂を経て、得たものがたくさんありました。このチームのディレクションができたこと、チームメンバーが楽しんでくれたことは、今思い出しても心の底から嬉しい経験でした」(しなのさん)

全てがラッキー。「枠」にこだわらず広げる未来

意図せずフリーランスになったしなのさんでしたが、振り返ると今までの経験は全て今につながっており、「とてもラッキーだった」と実感しているそうです。

フリーランスになったことで、収入はもちろん、働き方や時間の使い方、そして自身の価値観やモチベーションも大きく変化したと言います。

「会社員時代の私は自己肯定感が低く、どちらかというとネガティブなタイプでした。しかし、フリーランスになった事で、過去の経験からクライアントに提供できる強みを理解し、求められていることが明確に言語化でき、誠実に自分のスキル・業務に自信を持ってご提案できるようになりました」

そんなしなのさんの心に残っているのは、開業して間もない頃、フリーランス仲間から教えられた「フリーランスは、必ずしも専門職種を一つに決める必要はない」という言葉だと言います。

「『オンライン秘書』は、クライアント様に寄り添ったサポートをすることに喜びを感じる方が多く活躍されています。私も、職種や肩書きにとらわれず、私のスキルや経験をご提供できる経営者様・企業様のお力になりたいと考えています。今後も私自身のスキルや経験が広がる限り、『しなのWEB』が事業としてご提供できるサービスも増えていくと考えています」

コロナ禍の影響もあり、働きかたや労働環境、ワークライフバランスを見直し始めた人も増えてきています。しなのさんのように、既存の枠や型にはめずに自分の可能性を広げていく働きかたが今後増えていくのではないでしょうか。

<プロフィール> 
しなの

大手就職情報サイトの企画運営、広報、コンテンツ制作を中心にオフィスワークを15年経験。在職中にスキルアップのためWEBデザインスクールへ通い、WEBデザイナーとして起業。以後、『オンライン秘書』として開業後から時給3000円を継続し、価格以上の提案型サポートが多くのクライアントから支持を受けている。
HP:「しなのWEB」

ライター:山本エミ
県庁臨時職員、秘書専門サイト運営・推進、役員アシスタントなどを経て、
住宅系情報雑誌の編集を経験後、2017年長野県に移住。
現在はフリーランスとして、住宅・移住・マーケティング関連のライティングを行っている。
HP:ちこり舎

末尾バナー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?