見出し画像

定年自衛官がITフリーランスへ転身 前例なき道の「実り多き日々」

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方を、取材を通してご紹介する「働き方の挑戦者たち」
今回は大学卒業後、陸上自衛隊に入隊し、第一空挺団・レンジャー教官・射撃教官・戦技室長などを経て55歳で定年退官後、IT企業に就職。現在はフリーランスエンジニアと企業をつなぐマネジメント会社「PE-BANK」にて最高齢エンジニアとして現役で活躍する藤原幸雄(ふじわら ゆきお)さんのストーリーに迫ります。

自衛隊を定年まで全力投球し、新たな「プロの道」へ

夕張市で生まれ育ち、のびのびとした学生時代を過ごした藤原さん。「規則正しい生活が身に付き、勉学に励む環境が整えられ、身体を鍛えることができる」と進学先に選んだのが防衛大学校で、卒業後は陸上自衛隊に入隊しました。

藤原さんが在籍したのは普通科、いわゆる歩兵部隊です。一言で表すと『有事の際に最前線で戦う部隊』です。つまり、その部隊の戦力は『人』になります。『人』が多ければ多いほど戦力も増すのですが、その一方で人間関係を円滑にするという点が難しいものでした」(藤原さん)

1982年7月(自衛隊時代)

自衛隊時代の藤原さん(1982年当時)

当時、中隊長として150名程の隊員を束ねていた藤原さん。隊員やリーダーと直接触れ合いながら良い関係を築き、彼らの力が良い形で発揮できるよう努めたものの、時にぶつかり合うことがあり苦労したと話します。

藤原さんは55歳の定年退職までに、レンジャー教官、戦技教官、戦技室長など歴任しましたが、スキー教官としてスキーを隊員に教えていたころ、こんなことがありました。

「お客様への展示を行うことがあったのですが、その内容を企画する機会がありました。見に来る人に楽しんでもらうためにどんなことができるのか、前任者がやったことをそのまま真似するのではなく、新たに思考し組み立てていきました。それが好評だった時は嬉しかったですね。どんな仕事もそれの積み重ねだなと感じています」(藤原さん)

日々の中で、前例がないことに挑戦することへの意義を感じてきた藤原さんでしたが、定年後の進路については大いに悩みました。

自衛隊には定年を迎える3年前に、全員が再就職のための資格取得や技能訓練といった職業訓練が受けられるプログラムが用意されており、藤原さんも2003年に受講しました。

一般的には、退官後の再就職先はある程度決まっているものでした。しかし、「仕事として始めるからには他の人よりも秀でた部分を活かしたい、そして人生80年時代と言われる中で、定年後に自衛隊ではない別のプロの道を目指そう」と藤原さんは決意します。

そこで、防大時代に卒業研究で取り上げた「プログラミング』を学び直し、資格を取得してIT業界で働いてみたいと考えるようになりました。じつは、藤原さんは高校時代には数学が得意で、大学でも応用物理学を専攻していました。当時は選ぶことはなかったもう一つの道を、セカンドキャリアとして歩むことにしたわけです。

娘と同時期に”就活” 親子で励ましあう日々

ただ、退官後に自衛隊とは全く無縁の業界への“就活”を目指す人は皆無でした。周りに自分と同じような状況の同僚が全くいないなかで、IT業界でエンジニアとして働くことを目指して資格を取得すべく、猛勉強の日々が始まります。

「平日は仕事が終わってから夜に1~2時間、土日祝日は朝から晩まで10時間ほど勉学に励む――これを約3年間続けました。他のことには目もくれず、高校時代ぶりに勉強に集中しましたね」と藤原さんは振り返ります。

猛勉強の結果、「基本情報技術者」「ソフトウェア開発技術者」「ネットワークスペシャリスト」の資格を取得。退職までの最後の4ヵ月間で再就職活動を行いました。

しかし、実務経験のない藤原さんをすぐに採用してくれる企業はなかなか見つかりません。たまたま同時期に藤原さんの長女も就職活動をしており、二人で励ましあいながら就職活動をすることになりました。
「私が4、5社から採用見送りの連絡をもらい、『なかなか厳しいね』と娘に話すと、『今どき、100社くらい当たり前だよ』と(笑)。そこでもう少し頑張ってみようと続けてみたところ、10社目で採用されました」と藤原さんは振り返ります。そして2006年12月、32年余り従事した自衛官を退官しました。

二度目の定年 満を持して「フリーランスエンジニア」へ

新天地はITベンチャー会社でした。エンジニアとして採用され、20代の新卒社員と3ヵ月間肩を並べて入社後研修を受けることからスタートしました。晴れて研修が明け、希望していた札幌支社に配属されるのかと思いきや、研修期間中に支社が閉鎖。図らずも東京での単身赴任生活も始まりました。

従業員の平均年齢も若く、同僚はほとんど20代や30代。年若い先輩や同僚から学びながら、エンジニアとしてのスキルを身に着けていきました。第二の定年を迎えるまでの東京での10年間は、「実りの多い日々を過ごしました」と藤原さんは言います。

そして、65歳の二度目の定年を迎えることになりました。そのとき藤原さんの頭に浮かんだのが、“フリーランスとしてエンジニアを続ける道”でした。

「10年間エンジニアとして実技経験を重ね、スキルも増えたことで、定年後も元気なうちはこの経験を活かせる仕事を続けたいと思うようになりました。会社員としてではなく、フリーランスという道があるなということは、実は定年の少し前から思っていました」

そこで藤原さんは、ITエンジニアのブランド化プラットフォーム事業を展開しているPE-BANKの門を叩きました。

PE-BANKとプロ契約をしたフリーランスエンジニアはプロエンジニアと呼ばれ、IT分野におけるスペシャリストとして仕事を行うことができます。藤原さんはこの点に着目し、フリーランスとしての活動をPE-BANKにバックアップしてもらうという道を選択しました。

そして藤原さんは2017年にフリーランスとして独立。69歳を迎えた現在では、顧客間で奪い合いになるほどの実力と人望で、絶えず依頼が届く大活躍のエンジニアとしてキャリアを確立しています。

最近の仕事風景①

現在の藤原さん。プロエンジニアとして企業で活躍している

IT業務とスキーインストラクターを両立 「定年のない働き方」を謳歌

「横を見なくて良いというのはフリーランスの特権ですね。会社員の場合、一般的に仕事にはメイン業務のほかに付随する雑務などもありますが、フリーランスの場合はコアとなるメイン業務のみに集中できるのがいいですね」

フリーランスとして働いてきた職場では、人間環境も良く、常に気持ちよく過ごすことができたと語る藤原さん。

働き方にも変化がありました。

「フリーランスですので、繁忙期と閑散期があります。業務量が少ない時期には週3日ほど仕事をし、2日は趣味のスキーを楽しみ、2日移動や休養を取るといったことも可能になりました。ワークライフバランスが取れ、趣味の時間も充実した生活を送れています。健康をできる限り維持しながら、元気なうちはIT業務と趣味のスキーを両立させてできるだけ続けていきたいですね」(藤原さん)

(自衛隊時代)1987年2月

自衛隊時代、スキーを滑る藤原さん(1987年当時)

2018年からスキーインストラクターの仕事もスタートし、12~3月はスキーのインストラクターとして、4~11月はITエンジニアをメイン業務として働くといった、フリーランスならではの働き方を楽しんでいるそうです。

自衛官時代に培った目標達成までのひたむきな努力と強い責任感。自衛官としての経験と、エンジニアとしての再出発、そしてフリーランスとして叶えられたワークライフバランス。
積み上げられた確かな経験と、磨き上げられたスキルは年齢を重ねた際に『強い武器』となります。
これらは定年のないフリーランスにとって、「健康が続く限りは働き続けたい」と願う人々の背中を押してくれる、そんなエッセンスが詰まったストーリーでした。

ライター:山本エミ
県庁臨時職員、秘書専門サイト運営・推進、役員アシスタントなどを経て、
住宅系情報雑誌の編集を経験後、2017年長野県に移住。
現在はフリーランスとして、住宅・移住・マーケティング関連のライティングを行っている。
HP:ちこり舎

末尾バナー


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?